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益城町のボランティアセンターにきました。
元々の計画では中央公民館に設置することになっていたのですが、そこが被災し、様々なところが検討されましたが、民間の敷地内に設置することが決まりました。そして、ボラセン設置までに一週間かかったそうです。
また、全国各地から沢山のボランティアに来てくださったのですが、何もしてもらうことがなかった時もあったそうです。それは、ボラセンの存在のことを知ってもらうのに時間がかかり、支援を必要とする人の情報がなかなか入ってこなかったからとのこと。
指定避難所以外のところに(コミュニティセンターや車中泊等)避難されている方が多く、そういった方々の情報を集めることにも苦労されたそうです。
事前に情報を収集する仕組みを作っておく必要があると感じました。
また、ボラセンは、社協が運営するわけですが、社協は介護サービス事業、地域福祉事業等もになっており、そちらの対応に追われ人手が足りず大変だったそうです。
福祉避難所が機能していなかったことも触れられていました。だれが避難所として開設する担当者、避難の受け入れをさばくの担当者、運営責任者、それぞれバラバラの窓口で、混乱されたそうです。
福井に持ち帰って、しっかりと活かしていきたいです。
今回は、震災で行政・議会・議員として何ができたか、できなかったか、何をすべきか、を調査しにきています。
まず行政対応ついて。4.14余震時の職員の招集率が3〜4時割と低かったそうです。防災無線は使われず、情報提供の不備があったそうです。福祉避難所は160ヶ所中50〜60ヶ所しか開設されず、災害弱者対応の不備があったそうです。自衛隊・警察・消防局・消防団・自主防災組織の連携不足があったそうです。
福井ではこういったことがないよう、これらの教訓を活かしたいと思います。
避難については、指定避難所に避難した方の他に、地域のコミュニティセンターや老人サロンに避難した方、車中泊で過ごした方が多かったそうです。
しかし、そういう方へは支援物資や食料が届かなかったそうです。きちんと仕組みをつくり訓練が必要だと感じました。
備蓄も少なく、パーテーション・簡易ベッド、大型コンロがなく、大変不便されたそうです。公助には限界があり、飲み物や毛布が足りず、自分で用意しておくことは必然であった、という教訓をいただきました。また、市役所の人も被災した為、人手不足で支援物資を采配することができなかったという現状もあったそうです。
自治防災組織としては、組織があり、計画があってもうまくいったところ、うまくいかなかったところが分かれたそうです。改めて地域コミュニティの大切さを実感しました。
要支援者について。車イスの方々は、避難所へはいけず、自力でなんとかするしかなかった状況であった、とのことです。
まだまだ学びました。
今後、福井市へ、町内へ、活かしたいと思います。
写真は、熊本城です。特別に危険区域へ入らせていただきました。
市民の誇りである熊本城。
一早い復興をお祈りいたします。
おおい健康マラソン大会に参加しました。
日常の車イスは『2時間チャレンジ走』のみエントリー可能で、他のコースはエントリーできませんでした。しかし、2時間で走ってもいいし、歩いてもいいし、休んでもいい、というルールだったから、車イスの方々は、自分たちのペースで走れたと思います。
また、2時間チャレンジコースは3.5.10Kmのコースと別のルートが設定されていました。だから、そんなに多くの人との接触はありませんでした。
また、コースは山道で坂がきつく、道がでこぼこだったり、橋があったりしましたが、転倒などはありませんでした。
日常の車イスの参加者は6名でした。幼稚園児の女の子、娘と孫と一緒に来ていた方、仲間と一緒に来ていた青年男性、片足こぎの男性など、老若男女の方々がいました。
幼稚園児の女の子は、父親と母親と一緒に走っていましたが、ほとんど介助なして走れたそうです。三世代の家族は、車イスのおじいちゃんを一生懸命励ましながら走っていました。青年男性グループは、少し身体の弱そうな車イスの男性を皆んなで支え合いながら走っていました。
そして、健常者や車イスランナー同士励まし合いながら、沿道の方々に応援していただきながら、全員完走しました。
ゴールしてからは、タイムをもらい、完走賞や記念品を貰いました。 これまでのオープン参加では味わえない達成感があった、とおっしゃる方がいらっしゃいました。
とても素晴らしい試みがはじまったと思います。
全県に広げて行きたいと思います!!
2018福井国体・大会に関しての講演会が終了いたしました。
当日は、子ども達やハピリュウも来てダンスで盛り上げていただきました!
私もプレゼンテーションさせていただきした。
さて、山根一眞氏の講演会では、福井国体・大会において、ふくいは何ができるか、何をやるべきかについてお話いただきました。
★2020東京オリンピックに先駆けて、情報通信技術を使った実験ツールをつくる
★100万人近い人が関わる大イベントで福井が日本の中心になる。このことをしっかりと意識すること
★全国のことを知るいい機会。国体開催までに、46都道府県のことを知ったり交流したりする機会をつくる
★福井の食は◯◯だ、というものを確立する
★国体は秋だから台風など災害が起こる時期。福井は災害の多い県だから、災害対策をしっかりやる
等々。具体的で分かりやすい提案を沢山いただきました。
素晴らしいご講演、本当にありがとうございました。
今後、福井青年会議所として、しっかりと活かしていかなければと思います。
インドネシア独立記念祭に参加させていただきました!インドネシアと日本の友好の証として、ナシトゥンプンの天辺をいただいたり、と貴重な体験をさせていただきました。
とにかく皆さんのおもてなしが素晴らしかったです!
ずっと笑顔で(後から聞いた話ですが何日か寝ていなかったそうです)、料理もまず子どもから日本人からで自分たちは殆ど食べずになくなってしまったり、民族衣装着せてもらったり、ダンスやゲームで盛り上がったり、おもてなしを至る所で感じられました。
イベントの冒頭には国旗掲揚の儀式がありました。厳粛なムードの中行われました。他国で初めて独立記念を祝って嬉しいと、涙ぐんでいらっしゃる方もいました。
交流会で沢山の方とお話ししましたが、
3人の子どもがいらっしゃるイスラム教の方からは、残念なことをお聞きしました。
イスラム教はお酒(みりんなども)や豚(鶏や牛も厳粛なルールを守ったもの以外)は食べてはいけないことになっていて、
小2になる長男の為に、母は毎日学校から渡される献立表を見ながらお弁当を作っているそうです。
大変ですよね。アレルギー食物除去の対応はしていますので、同じように対応できないか、聞きに行ってみます。
以前も同じようなことを聞いてみたのですが、上手くいかなかったので、再度挑戦します!
とにかく、とても楽しくて有意義なイベントでした。
オーガナイザーの皆様、お疲れ様でした!!
ユニバーサルスポーツフェスティバル(車イスサッカーと卓球バレー)を今年も開催します!
その為に、これまであまりしてこなかった、でもとても大事なことだった、障害をもつ子ども達の参加お願いに回っています。
フェスティバルを通じて、なかなか外に出れない子ども達を外に出したい!そしてスポーツを通して、障害あるなしに関わらず、思いっきり楽しんでほしい!と思っています。
写真中央(2枚目)は、友飛の翼の吉田隆先生。
福井特別支援学校を定年後も、このクラブを率いて様々な活動をしていらっしゃいます。
詳しくはこちらのブログをご覧ください!
友飛の翼
http://yuuhinotubasa.blog.fc2.com
伊賀市の岡本市長直々に、観光戦略と地方創生についてのお話しを聞きました。
以前バンキシャに出ていた岡本市長に一目惚れした、まちづくりとNPO研究会のメンバー(飛田氏)が視察を企画してくださり、実現しました。
まず岡本市長は、民間出身(元アナウンサー)で、トップセールスが大事で、市長でなくて社長という意識でやっている、伊賀営業本部を立ち上げた、というお話しをされました。
そして観光戦略は、経済基盤を整え、若い人が住むことができる街を作る為にやっている、幅広くやるけど、着地点をしっかり決め、思い切ってやることが大事。
また、なぜ今観光に力を入れないといけないか、何の為に施策をしているのか、を市民の方々や職員に、しっかり指し示すことが大事、とのこと。
しかし、観光に力を入れる為に、これまでの施策を整理し、何が大事か必要か区別し、行政改革を行ったので苦労している、ともおっしゃっていました。
さらに、観光戦略だけでなく、多文化共生にも力を入れており、人口の6%いる性的少数者の為に『LGBTパートナーシップ宣言』(全国で3番目)をしたり、イクボス宣言成らぬ『働き方応援宣言』もされたそうです。
まだ就任してから4年目の市長ですが、こんなに沢山の政策を打ち出し実現しています。
福井も、もっとやる気を出せば新しいことにもどんどんチャレンジできるし、似たようなことをやっているのだから、もっと市民に理解してもらえるように工夫すればもっと広がるのに、、
と歯がゆく思いました。
今日学んだことを、しっかりと活かしていきたいと思います。
ところで、、
岡本市長と飛田さん、すごく似ていて、どちらか分からないですよね^^;
(写真2枚目)
今年も陸前高田に来ることができました。
初めて来たのは震災の翌年。瓦礫の山があちこちにあり、津波の被害にあった建物があちこちにありました。
昨年は、山からベルトコンベアーで土を運び、高台を作っていました。その高台に新しく街を作り、これまであった集落を再び作るのだ、と市の職員から説明を受けました。
そして今年は、高台に建物や家ができているかと期待しましたが、ベルトコンベアーはなくなっていたものの、昨年同様、建機で高台を作っていました。
高田松原があったところには、高々とそびえ立つ防波堤ができており、海岸線は壁で全く見えなくなっていました。
しかし、人口は何百人単位で減り続けているとのこと。
復興に向けて、まだ時間がかかりそうです。
そんな中、自分たちの街を盛り上げよう!と、夏の七夕祭りの時期には、若者達が県外から帰っているようです。
そのお祭りを盛り上げるお手伝いを、今年もさせて頂きました。
今年の目標の一つ、子どもからお年寄りまでが気軽に集えるスペース『社北寄って遊んでよろず茶屋』がオープンしましたー!
町内のコミュニティ会館がいつも閉まっていたので、もったいない!という想いからできたスペースです^^
毎週日曜の13〜17時開店しています。今週は体操教室でしたので、女性に沢山来ていただきましたー!!
これから楽しい企画たくさん作っていこうと思います♩